東大世界史入試問題 解体新書

            〜2002(平成14)年 2月実施(全3問題)〜
                                   
第1問

☆ 問題

 世界の都市を旅すると,東南アジアに限らず,オセアニアや南北アメリカ,ヨーロツパなど,

至る所にチャイナ・タウンがあることに驚かされる。その起源を探ると,東南アジアの場合に

は,すでに宋から明の時代に,各地に中国出身者の集住する港が形成され始めていた。し

かし,中国から海外への移住者が急増したのは,19世紀になってからであった。その際,

各地に移住した中国人は低賃金の労働者として酷使されたり,ヨーロッパ系の移住者と競

合して激しい排斥運動に直面したりした。たとえば,米国の場合,1882年には新たな中国

人移民の流入を禁止する法律が制定された。米国がこのような中国人排斥法を廃止したの

は第二次世界大戦中のことであり,大戦後にはふたたび中国からの移住者が増加した。

 上述のような経緯の中で,19世紀から20世紀はじめに中国からの移民が南北アメリカや

東南アジアで急増した背景には,どのような事情があったと考えられるか,また海外に移住

した人々が中国本国の政治的な動きにどのような影響を与えたか,これらの点について,

解答欄(イ)を用いて15行(1行:30字,以下同様)以内で述べよ。なお,以下に示した語句

を一度は用い,使用した場所に必ず下線を付せ。
  
  植民地奴隷制の廃止   サトウキビ・プランテーション

  ゴールド・ラツシュ      海禁         アヘン戦争

  海峡植民地         利権回収運動   孫 文
 
★ コメント

「問題文を読んで、答案を考えるポイントになる部分に下線を引くとよい。この論述ならば次

の箇所となる。『19世紀から20世紀はじめ』(要求されている時代)、『南北アメリカや東南

アジア』(要求されている地域)、『どのような事情』(要求されている内容@)、『中国本国の

政治的な動きにどのような影響を与えたか』(要求されている内容A)」の4つである。

 さて、次に、与えられた語句をどのように使用するかであるが、8つの指定語句の中で、

『植民地奴隷制の廃止』が最も難しいだろう。教科書レベルプラスαの知識で、次の事実を

知っておいて欲しい。つまり、イギリスならば、19世紀前半における自由主義改革の一つに

奴隷貿易の廃止(1807年)と植民地の奴隷制度の廃止(1833年)があるということ。フラン

スならば、革命中に一時奴隷解放が行われたが、ナポレオンが復活させたため、廃止は18

48年の二月革命まで遅れたこと。あとは、この時代のサトウキビ生産地の中心がカリブ海に

浮かぶ西インド諸島やブラジルである(原産地は東インド。北アフリカから十字軍兵士により

栽培に適したスペインにもたらされ、その苗をコロンブスが持ち込んだ)ことを押さえておきた

い。

 苦力(クーリー)という語句は指定されていないが、『19世紀に廃止された黒人奴隷貿易に

取って代わった苦力貿易』という使い方で、重要なキーワードとなるので使えるように」

☆ 解答例

 中国ではアヘン戦争やアロー戦争の敗北によって明清以来の海禁政策が放棄され、中

国人労働者の海外渡航も認められるようになると,社会構造の変化の中で生活苦のため

海外に出ざるを得ない人々による海外移民が急増した。また19世紀に欧米では自由主義

の進展によって植民地奴隷制の廃止が実現し,代わって苦力(クーリー)貿易によるインド

人や中国人の安い労働力が求められたこともこれを助長する要因となった。勤勉な中国人

労働者はハワイ・中南米などでのサトウキビ・プランテーションや,イギリスの海峡植民地

中心とするマレー半島のゴム・プランテーション,錫鉱山などで過酷な労働に従事した。また

北米でもゴールド・ラッシュを契機に大陸横断鉄道などの建設に従事する中国人労働者が

増えた。こうして海外に定住した中国人の中には困苦のすえ,しだいに財をなす者も現れ,

彼らは民族的危機に直面していた祖国を憂慮し,20世紀初めに利権回収運動が高揚し

などの革命家が海外で革命運動を進めると,これを積極的に援助し辛亥革命の成功にも

大きな役割を担った。(452字)

★ コメント

「ここでは、『赤本』以外の解答例を以下に示すことにより、重複している箇所が絶対に落と

せない記述であることと、それぞれ異なった箇所は自由度が高い部分(つまり、様々な記述

が許されれる)であることの例としたい。旺文社の『全国大学入試問題』から引用する。特に

苦力貿易について詳しいのが特徴といえる。なお、文中の『買弁(ばいべん)商人』とは、

『外国資本に奉仕することで自利をむさぼり、自国の不利益を招いた商人』のこと。
 
 中国ではアヘン戦争の敗北で海禁体制が実質的に崩壊し、外国商人や彼らと結ぶ中国

買弁商人が、戦後の銀貨上昇で困窮する農民を世界各地に輸出し始めた。こうして苦力と

よばれた中国人は、植民地奴隷制の廃止で黒人奴隷に代わる労働力を求めていたカリブ

海地域のサトウキビ・プランテーションや、ゴールド・ラッシュによる鉱山開発とそれに続く大

陸横断鉄道の建設で安い労働力を必要としていた合衆国西部に運ばれた。また東南アジ

アでも、海峡植民地を成立させていたイギリスのマレー半島における錫鉱山や、強制栽培

制度やその後のプランテーション経営の労働力を求めるオランダのインドネシア植民地に運

ばれた。しかし、すでに東南アジアに進出していた華僑が、各地で交易・商業活動の中心的

地位を占め、地縁や血縁を利用して団結していた。新たな移住者を含む華僑はほとんどが

漢民族であり、反清意識をもっていた。そのため華僑は、中国本国で清朝打倒の革命運動

を開始した孫文や民族資本家を中心に展開される利権回収運動を、資金力や人脈面から

強く支援した。(447字)」

☆ 出題分野・テーマ

 中国の移民と中国革命

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